【歴史で学ぶ戦略】第二次ポエニ戦争におけるハンニバルの戦略についてmmj blog

Webマーケター 坂本
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2020年01月09日

はじめに

ビジネスにおいて必要とされる戦略。ただ、元々「戦略」とは軍事用語であり、歴史的に、相互の相対的な差異から如何に自軍を勝利に導くかが問われてきました。そこで今回は、2200年ほど(!)歴史をさかのぼり、古代ローマ史のハイライトの一つ、第二次ポエニ戦争での名将ハンニバルの行動を中心に、戦略の考え方を紐解いてみたいと思います。


Public domein image: Maps to Illustrate the Punic Wars

1:第二次ポエニ戦争(紀元前219年~201年)とは

イタリア半島を統一しシチリア島を得た共和政ローマと、北アフリカとイベリア半島を主な勢力圏とする大国カルタゴ(今でいうチュニジア辺り)との間で争われた戦争です。カルタゴの名将ハンニバルが大いに活躍したことから、「ハンニバル戦争」とも呼ばれます。実際、ハンニバルはこの戦争でイタリア半島を舞台にローマ軍相手に連戦連勝を重ねますが、最終的にはイタリア半島からの撤退を余儀なくされ、本国カルタゴ近郊、ザマの戦いで敗北し、戦争自体はローマの勝利として終結。カルタゴは、イベリア半島などの広範な領土の支配権を失い、多額の賠償金を課されることになりました。

2:戦争開始時の両軍の状況

【ローマ軍】

攻め込まれた側のローマは、当時の主力部隊である重装歩兵の質および量についてはカルタゴに勝っていました。また、物資や兵隊の補給でも優位に立っていました。

【カルタゴ軍(ハンニバル)】

重装歩兵や補給線では劣っていたカルタゴ軍ですが、当時の馬の生産地である北アフリカのヌミディア国と友好関係にあったため、騎兵の質と量ではローマより優位にありました。

3:ハンニバルの目的およびその戦略と戦術

(1)目的

ハンニバルの目的は、共和制ローマの滅亡でした。そのために考えたのは、ローマと言う都市の攻略だけではなく、ローマを中心とした集団安全保障体制の解体です。当時のイタリア半島は、単一の国家と言うより、共和制ローマを盟主とした都市国家の連合体、すなわちローマ連合と言った方が適切な状態でした。そこで、ハンニバルは連合体の解体を目指した戦略を立てます。

(2)基本戦略

連合体としてのローマを解体するために、ハンニバルは、ローマ連合傘下にある都市を襲撃してローマ軍を誘引し、それを決戦で何度も撃破することで、ローマ連合の有効性の否定を目指します。すなわち、連合傘下の都市にとってローマが頼りにならないことを白日に示し、そこからの離脱を促したわけです。

(3)戦術

当時の主力の重装歩兵では劣っていたカルタゴ軍ですが、騎兵の質と量では優位に立っていました。そこで、重装歩兵同士の激突という当時の基本戦術を放棄し、騎兵を活用して重装歩兵の陣形を迂回させ、重装歩兵同士の本格的な激突の決着を見る前に包囲殲滅する戦術を採用します。


Public domein image: The Death of Paulus Aemilius at the Battle of Cannae (Yale University Art Gallery scan)

4:戦争の大まかな経緯

(1) 序盤:アルプス越えと連戦連勝のハンニバル

ハンニバルは、当時カルタゴの勢力圏内にあったイベリア半島(現在のスペイン)を根拠地としていました。ハンニバルはそこから軍隊を率いてピレネー山脈、アルプス山脈を越え、イタリア半島に侵入。その後、トレッビアの戦い、トランジメーノの戦い、そして軍事史上に名高いカンナエの戦いなど、いずれも騎兵を用いた包囲戦術で、ローマ軍相手に連戦連勝を重ねました。

(2) 中盤:イタリア半島での膠着

度重なる敗戦で打ちひしがれるローマですが、国家総動員体制を敷いて大量の軍隊を動員するとともに、指導者ファビウスがハンニバルとの直接の決戦を避ける戦略に出ます。ハンニバルと直接戦闘を行う代わりに、補給線の攻撃など、間接的な妨害を優先したため、戦線は膠着します。

(3)終盤:カルタゴ本国急襲とハンニバルの敗北

戦線の膠着が続く中、ローマでは名将スキピオが積極攻勢を主張し、市民の支持を獲得。イベリア半島、ついでカルタゴ本国へ侵攻することで、その対応のため、ハンニバルが本国カルタゴへ召還されます。ローマの外交によって騎兵の優位を失ったハンニバルは、カルタゴ近郊のザマの戦いでスキピオに敗北。戦争はローマの勝利で終結しました。

5:ハンニバルの戦略への評価

(1)ハンニバルの優れていた点

ローマの強さが一都市ではなく連合体にあると見抜きその解体を目指したこと、そして騎兵と歩兵の連動による包囲戦術を積極活用したことは、ハンニバルの慧眼でした。

(2)ハンニバルの誤算①:新たな安全保障体制の提示ができなかった

ハンニバルに誤算があったとすれば、ローマ連合の解体が想定よりはるかに困難だったことでしょう。それは、ローマ連合に代わる新しい安全保障体制をイタリア半島に示す能力と意図が、ハンニバル、ひいてはカルタゴに無かったことを示します。

(3)ハンニバルの誤算②:ハンニバル一人に依存した戦争運営

ローマが、スキピオをはじめ時宜に応じた指導者を排出したのに対し、カルタゴはハンニバル一人に戦争の帰趨を賭けていました。加えて、ローマが国家総動員体制を敷いて国内の全ての資源を戦争に投入したのに対し、カルタゴは、約20年にわたる戦争中、ハンニバル支援の動きを見せつつも、ローマのような総動員体制を敷くことはついにありませんでした。

6:終わりに

史上名高い第二次ポエニ戦争において、常勝ハンニバルがローマに敗れた最大の要因は、おそらく、ハンニバル一人に依存した戦争継続という点でしょう。ビジネスにおいて、どんなに優秀な社員が一人いても、それを支える体制やその他のリソースの手当がなければ、一過性の成功にとどまってしまうはずです。優秀な社員に自由に活躍をさせつつ、それを会社組織としてどう位置付けてバックアップし、成功を持続させるか、今なお難しい課題として突き付けられているのではないでしょうか。

・参考文献『ローマ人の物語 (2) ハンニバル戦記』(塩野七生)


Public domein image: Hannibal Slodtz Louvre MR2093

2020年01月09日

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